マラガ・ジブラルタル旅行記 – その1、マラガ編

旅行

2015年12月30日。
ぼくは成田空港に向かっていた。
2ヶ月ほど前に、偶然見つけた破格のチケット。

ぼくは日常的に複数の航空会社のウェブサイトを眺めている。
10月のある日、この日程だけが特別に安いことに気がついた。
ここに書くのは憚られるほどの安さ。
その前年の年末年始に使った台湾往復と数千円しか違わなかった。

仕事の日程はどうにか調整できそうだった。
年始の仕事初めに不在なのは少々気が引けたが、この機会を逃すと次のチャンスはやって来ないような気がした。

今回の旅の目的はスペイン南部とイギリス領ジブラルタルへ行くこと。
イスラム教とキリスト教が鬩(せめ)ぎ合ったその地をこの目で見たかったからだ。
ジブラルタル海峡周辺を地図で見ると、ジブラルタル海峡を挟んでスペインとモロッコが向かい合っている。

さらによく目を凝らして地図をみると、その周辺には各国の飛び地がいくつか見つかる。
モロッコにはスペイン領セウタが、スペインの南端にはイギリス領ジブラルタルが、いくらかの領土問題を残しながら今もその主権国家が手放そうとはしない。
それはそうだろう。
要衝としてのこれらの小さな領土の役割は大きい。
我が国日本でも、尖閣諸島や竹島といった主権にかかわる問題が存在している。

ヨーロッパにおける争いごとの原因は、少々複雑だ。
民族問題・宗教問題に加え、大航海時代には覇権をかけた領土獲得に奔走した歴史を持つ。

そして今回の目的地スペインはキリスト教の国だったところへモロッコからイスラム教徒の侵略をうけ、永きに渡ってイスラム国家だった歴史を持つ。スペイン両王がキリスト教の地として奪還するまで不安定な時代が続いたと世界史の授業で聴いたことを思い出した。

12月30日の夜の便で、ぼくはスペインへ向かった。
ターキッシュエアラインズでイスタンブルを経由する。

ターキッシュエアラインズ

ターキッシュエアラインズは、ここ数年ヨーロッパ行きではぼくのメインフライヤーとなっている。
毎年夏の終わりに南ドイツの小さな街に通うことになったぼくは、そこへ最短で行けるフライトを探していた。
その街はFriedrichshafen。
初めて耳にしたそのコンスタンツ湖のほとりの美しい街は、日本から行くには微妙な位置だ。
日系キャリアで日本からドイツの各都市へのアクセスは、まずフランクフルトへいき、各地方都市へ国内線や鉄道を乗り継ぐのが一般的だろう。
もしくは隣国スイスでチューリッヒから鉄道を使うという方法もある。

数年前の夏、旅行会社のスタッフを困らせたのはぼくの日程とエアラインのダイヤとがうまくかみ合わないことだった。
フランクフルトにしてもチューリッヒにしても、経由地で1泊しないといけない。往復で2日余計に必要になってしまうのだ。

ぼくは日本からではなく、目的地から逆向きに探すことにした。
Friedrichshafenに直接乗り入れている国際線はどこなのか。
ジャーマンウィングなどのLCCに混じってそこにターキッシュエアラインズがあった。
当然イスタンブルからの便だ。
日本からイスタンブルは比較的行きやすい。
当時は関西空港と成田空港から毎日定期便が就航していた。
乗り継ぎは半日ほどあるが、早朝に着いて午後1番での出発。
都合がいい。
またターキッシュエアラインズは、イスタンブルをハブに、ヨーロッパ・中東・北米へも多数の便があることがわかった。

それ以来、ヨーロッパ行きはイスタンブルを経由するのが定番のルートとなったのだった。

機内にて

22時25分の定刻を少し遅れてTK47は成田空港を離陸した。
乗り込んだ直後に、腕時計をヨーロッパ東時間に調整する。到着地の時間に合わせることで、到着までの時間感覚をなじませる目的もある。


シート前には感度の悪いタッチ式のディスプレイが備わっている。
それを少々イライラしながら触っているいると機内食が配られだした。

少々古めかしいエアバス330での成田からイスタンブルまでのフライトは、やがて12時間ほどとなる。
そのため機内食は2回出されることになる。
ほとんど座ったままで動かない機内では、たくさんも食べられない。
そこで最近のぼくは機内食をリクエストするようにしている。
多くのエアラインで健康上の理由や宗教上の理由で食事の制限がある顧客向けに、それらに対応したメニューをあらかじめ予約できるようになっている。
ぼくは食事の制限は全くないのだが、前述の理由でベジアリアンミールもしくはそれに類するメニューをリクエストしている。
今回はベジタリアンオリエンタルミールをリクエストしてみた。
主食がビールと吹聴しているぼくは、もちろんトルコの定番ビールであるエフェスをいただく。
機内食を食べ、エフェスを何本か飲んでいるうちに消灯となった。

消灯後、しばらくはオンデマンドの映画やゲームを楽しんでいた乗客たちも徐々に眠りについていく。
ぼくはこの時間になってから歯を磨くことにしている。
キャビンアテンダントから水をもらい、離陸直後にもらったアメニティから歯ブラシをとりだす。
そして口の中をさっぱりしてから眠りにつことにしている。
機内食直後と違って、この時間の化粧室は比較的空いているのだ。
そしてそれからようやく眠りにつくことにする。

ぼくが座る狭いエコノミーシートは、寝心地がいいとは決して言えない。
2〜3時間も眠れれば上出来だろう。
ここからは読書灯で本を読んだり、またウトウトしたりをくりかえしながら、着陸時間を待つ。
到着の2時間半余り前になると、2回目の機内食だ。
ずっと座っているせいか、空腹感はない。
ここで幸いだったのは、野菜と果物だけのメニュー。
寝起きに卵やソーセージは辛いものがある。

マフィンは要らないと断った。
替わりに水を余計にもらうことにした。
機内は乾いているので、やはり喉が乾く。

いくらビール好きのぼくでも、さすがに朝からビールはもらわない。
このときばかりは紅茶をもらった。
この路線が興味深いのは中東へ向かう人々もそれなりにいて、食後の飲み物にチャイをリクエストする声が時折聞こえる。

やがて着陸態勢に入った。
定刻よりも若干遅れているようだ。

アタテュルク国際空港

高度が下がっていき、やがて窓から海面が見えた。
海上で大きく旋回する。
何隻かの漁船の上をかすめるようにして、TK47は早朝のアタテュルク国際空港に着陸した。
着陸してからが長かった。
着陸後、滑走路のはずれで駐機してしばらく待機となった旨の機内放送があった。
ふと窓の外を見てみる。
なんと外は雪。
そのため作業が遅れているのだろう。

ぼくには次のフライトまでは十分な時間があるのでさほどの心配はないが、接続時間が短い人は気が気ではなかったろう。

着陸してからやがて1時間。
TK47は、ようやくボーディングブリッジに接続された。

ここで気がついた。
これまで何度か利用してきた日本発のイスタンブル便は、機体は沖止めされて、ターミナルまではバスで移動していた。
今回は降雪のいう天候を考慮してボーディングブリッジでの降機となったのだろう。

遅れたのは到着ばかりではなかったようで、この日のアタテュルク国際空港を発つ、多くの便でDELAYのマーク付きとなっていた。
その日の夜に成田に向かう便に至っては12時間以上の遅れとなっており、他人事ながらやれやれといった気分になる。

ぼくが搭乗予定のマラガ行きTK1305も9時15分定刻が、やがて4時間遅れの午後1時を過ぎてようやくの搭乗開始となったほどだ。
離陸はさらに遅れた。
本来は昼過ぎにはマラガに到着の予定が、その時間になってもまだイスタンブルにいることになるとは。

降機後、通常は次の便の待合室に移動を促される。
しかしぼくはここで国内線乗り継ぎと入国審査の方へ向かう。
長い廊下を過ぎると、セキュリティチェックの出口だ。


この辺りにカフェ、フードコート、免税店などが軒を連ねている。
その直前の夏には改築工事をしていた一画は美しく仕上げられ、複数のカフェやレストラン、ブティックなどが入っていた。
とりあえずWi-Fiを使いたくてカフェに入った。


コーヒーを飲みながらこの先の予定について考える。
サインボードにはまだフライト時間は未定とある。
しばらくは空港で待機しなくてはいけない。

航空会社の上級会員やビジネスクラス以上の乗客は搭乗までの待ち時間をゆったり過ごせるラウンジがあるのはご存知と思う。
ソファーやシャワーなどの設備に加え、軽食やアルコール類の提供もある。
ラウンジに入ってしまえば、搭乗までの時間をゆったりと過ごすことができる。

ただ、エコノミークラスの乗客は利用できない。

ところが、ぼくのような格安エコノミーの乗客でもラウンジを利用できるサービスがある。
そのサービスをプライオリティパスという。
年会費を払うことで、ラウンジを無料もしくは比較的廉価な入室料を払うことで利用できる。
利用回数無制限のプランだと年会費がやがて50000円ほど必要になるが、日本の楽天カードのプレミアムカードの利用者だと、。なんと無料でこのプライオリティパスがついてくる。
年会費わずか10000円(+消費税)のクレジットカードで、年会費50000円が不要になる、太っ腹なサービス。

ところが、このプライオリティパスの発行について、うっかり忘れていたことが悔やまれる。
プライオリティパスが無料で発行してもらえることを知って契約した楽天カードだったというのに。
ラウンジに入れたなら、さぞのんびりできただろうにと思う。

仕方がないので免税店を冷やかしたり、フードコートの様子を眺めたりして時間が過ぎるのを待った。
さすがに座っているだけの機内とは違い、歩き回っているせいか、腹が減ってきた。

成田を発ってから野菜と果物しか食べていなかった。
お腹に溜まるものを食べようと、カフェテリアへ入ってみた。
が、結局は次のフライトのことも考えて、ズッペとパンだけにしてしまった。
ついでに、もう昼も近いことなのでエフェスもいただくことにした。

ズッペとエフェスの妙な組み合わせのランチを食べていると、どうやら、滞っていたフライトが再開されている模様。
周囲の客の動きが慌ただしくなってきた。
ロビーの電光掲示板で搭乗口に変更がないかを確認して、移動することにした。
あとは搭乗口で椅子に座って待つことにしよう。

イスタンブルからマラガへ

搭乗口についてみると、搭乗待ちの人数の多さにびっくりした。
さながら難民キャンプ、もしくは災害で避難してきた人々を思わせるような混み具合。
長時間の待機で疲れているのはみな同じ。
考えることも同じ。
座る場所が全くないのだ。

しようがなく搭乗口(1階、つまり沖止めの飛行機までバスで移動)に来るために降りてきたエスカレーターを再び2階へ移動し、エスカレーター脇にあるカフェでギリギリまで待つことにした。
カフェは完全に仕切られている上、何か注文しないと居られないため、比較的空いている。
ビールを頼み、見知らぬ人との相席に座ってしばらくの間ゆっくりすることにした。

空気が乾いているのかビールがすすむ。
安くもないビールを2杯、3杯と飲んでしまった。
そうこうするうちに、搭乗時間が過ぎている。
しかしまだ搭乗開始のコールはない。
さすがに気になって、搭乗口へ移動してみた。

4時間以上も遅れたので、どうやら、搭乗待ちの乗客たちも苛立っているようだ。
いつ出発できるのかを知りたくて詰め寄る乗客に、係員が説明に苦労している。
窓の横のベンチに座る場所を確保したぼくは、一息ついた。

15分も座っていただろうか、搭乗開始が告げられる。
ぼくの席はエコノミー席の比較的前の方だ。
機材までのリムジンバスには慌てて乗る必要はない。
2回目の巡回でバスに乗り込んだ。

朝はうっすらと積もっていただけの雪は、この時間にはかなりの積雪になっている。
バスは時折スリップしているようだったが、無事航空機の横まで辿りついた。
雪が珍しい国の人たちは嬉しそうにはしゃいで、写真を撮りあっている。
ボーディングタラップにも雪が積もり、登るのもひと苦労しているようだ。
混雑が収まるまで、タラップ下で眺めながら待つことにした。

そしてようやく搭乗。
ぼくの予約した座席に誰かが座っている。
3ー3のシートパターンの一列が1グループのようで、談笑している。
ぼくはその一番奥の窓際席だ。
「座席を間違えているようです」
と伝えるが、彼もここは自分の席だという。
どうやらダブルブッキングらしい。
ぼくはシートの予約が重複していることを近くにいた男性のキャビンアテンダントに伝え、調整してくれるよう依頼した。

ずっと昔、東京行きの特急に乗ろうとしたところ、ぼくの席に家族連れが座っていた。
聞けば席はここだという。
切符で確認してもぼくと同じ番号が書いてある。
車掌にその旨を伝えると、彼は双方の切符を確認した。
なんとその家族連れの切符は前日のもので、彼らは1日間違えて切符を購入していたようなのだ。
旅行会社の手違いなのか、それとも本人たちが間違えたのだろうかはわからないが、慌てて降りていく後ろ姿。
子供たちは「え〜、どうして降りるの?ディズニーランドは?」と困惑しながら後に続く。
こちらは何も悪くはないのだが、なんとなく気まずい思いをしたのを思い出した。
あの後彼らはどうしたのだろうか。

結局ぼくは窓際ではなく通路側に座ることになった。
先に座っていた乗客は、何列か後ろの空いている席に移動することになった。
きっと同行者なのだろうからと、「ぼくが後ろに行くよ」と申し出た。
ところがぼくは特別な機内食を予約していて、この座席で準備が進んでいるため、列の変更はできないといわれて断られてしまった。
わずか3時間ほどのフライトだが、国際線なので、機内食があるのだ。

ぼくの隣はサウジアラビア人だった。
日本とは国交のない国、サウジアラビア。
イスラム教徒以外は入国できない国、サウジアラビア。
彼の名はナイフ。
ヨーロッパ各国の事業者とサウジアラビアの事業者を取り持つような仕事をしているようだった。
彼はフライトの間何度も、iPhoneには入ったアダルト動画を閲覧、ぼくにも観るように促した。
彼はその間、「セックスはいい。スペイン女性とのセックスは殊更いい」と繰り返していた。
動画の中には、彼とその彼女がセックス中の動画もあり、そのときは慌ててフリップしていたけれど。
彼は、年末年始をスペインにいるガールフレンドに買い与えたマンションで過ごすためにやってきたのだ、と言っていた。

やがて機内食が運ばれてきた。
ぼくの分はもちろん野菜だけだ。
機内食を食べながら、ぼくはビールを、ナイフはワインを飲みつつ(イスラム教は飲酒禁止だったはずなんだが)、お互いの仕事についてなどを話した。

ワインで陽気になった彼は美人キャビンアテンダントにちょっかいを出した。
このおっさん、本当に助平なんだな。

この様子を見て、先ほどの男性アテンダントが話しに割って入ってきた。
彼女はこれ幸いと場を離れていった。
この男性アテンダントはぼくが日本人だと知ると、しばらく前に日本便に搭乗して成田へ行った、と話し出した。
トルコ人は概して日本人に優しい。
100年以上も前の三重県串本町でのエルトゥールル号難破事件を恩義に感じているからだと聞く。
そういえば、イラン・イラク戦争の時テヘランに置き去りにされた日本人を救出したのもトルコ航空だった。
ぼくの尊敬する人が言う「GNO(義理・人情・恩返し)」を地でいっているのだ。
ナイフの意識がふたたびiPhoneにもどったころ、キャビンアテンダントも職務に戻っていった。

こんな退屈しない飛行機はマラガに到着した。
定刻からは、やがて5時間の遅れだった。

エアロポルテコスタデルソル

入国審査を終えて、荷物のピックアップ場所がよくわからないでうろうろしていると、件のナイフが声をかけてくれた。
彼に従い行くと、ガラスのドアを開けた。
果たしてその奥がターンテーブルだった。
ぼく一人だと見逃してしまい途方にくれるかもしれないところだった。

税関通過の後、ナイフは「時間があったら電話してくれ」とメモを残し、仲間たちと去っていった。

さて、街へ向かおう。
長い移動だったのだ、はやく荷物を置いてゆっくりしたい。

まずは現金を確保しなくては。
このままでは文無しと同じだ。
数ユーロしか持っていない。

ぼくは外貨両替はほとんどしない。
当座の資金はクレジットカードのキャッシングで済ませることが多い。
1ヶ月ほどの金利なら、両替手数料よりも安いことが大半だからだ。
もっとも為替リスクがあることも理解しなくてはいけないが。
キャッシュディスペンサーを探し、とりあえず300ユーロを確保した。

ロビーから外に出た。
夕暮れが近い、オレンジの空が出迎えてくれた。

このあとは、プランでは電車でダウンタウンまで移動するつもりだったので鉄道駅を探していた。
ところが、目の前に来たバスがどうやらダウンタウン行きのようだ。

Centro Estacion?
Si.

ならばこれに乗って行こう。
ぼくはいまひとつスペイン語は解せないのだが、運転手氏はどうやらマラガ中央駅のバス停に着いたら教えてくれるという。
ありがたい。

Hostal Tilosにて

街まではバスで20分くらいだったろうか。
下車するときに
Gracias!
とドライバーに声をかけた。
ドライバーはなにか言っているようだが、よくわからないので手を振って挨拶した。

ナイフやドライバー氏の助けもあって、無事に街までは来ることができた。
時計をみるとすでに6時30分を回っている。
日本でこの時間にはなるとほぼ真っ暗のはず。
ここマラガはロンドンより西にあるのに、基準時は中央ヨーロッパ標準時。
つまり朝は遅く夕方は長いのだ。
もともとは世界標準時が使われていたのだが、第二次世界大戦の時にナチスが中央ヨーロッパ標準時に変更、以後これが定着したらしい。

とりあえず宿に入ろう。
シングルの安いホステルを予約してある。
こっちだろうと思う方(こんな時の勘はだいたい合っているから不思議なものだ)に歩き出したところで、ポリスマンを見つけた。
あらかじめ出力してあった予約票を見せて、場所を尋ねてみる。
彼はぼくの英語での質問はわかったようで、「ついて来い!」のようなジェスチャーをして歩き出した。
途中、歩きタバコの男性を咎め注意をした以外は、結局彼はほとんど話さず、宿の前まで連れて行ってくれた。
Gracias!

宿の入口は鍵がかかっていた。
押しても引いても開かない。
さて、どうしたものかと思っていると、ドアの横に呼び鈴のボタンが見つかった。

ぼくは押してみた。

中から操作したのだろう、コツっという音がしてロックが解除された。
薄暗いロビーに入っていくと突き当たりに階段が、左にこじんまりとしたチェックインカウンターがあった。

チェックインには宿の女将が対応してくれた。
小柄な可愛らしいおばちゃん。
といってもぼくと同じか少し若いくらいだろうか。
英語の程度はぼくと同じ程度か(つまりたどたどしい)。
わかったかわからないかも確認できないままチェックイン作業が進む。

ここは2泊する予定だ。
会計を済ませ、3階の部屋の鍵を受け取る。
絵本にでてくるような真鍮の古めかしい鍵。
真っ暗な3回の廊下の先にぼくの部屋はあった。
その真っ暗な廊下には人感センサーの照明がついている。
その感度の悪いセンサーは、ぼくが通り過ぎ部屋に入ろうとする頃、ようやく照明を点けた。

3階の部屋は通りに面していた。
ダブルベッド1台とバストイレ付き。
1泊30ユーロの安宿。
明後日までをこの部屋で過ごす。

窓の外を見ると、向かいの建物の窓が全開で、中が丸見えだ。
つまりこちらも丸見え。
こちらの窓にはロールカーテンがあるのだが、この開け閉めの方法がいまひとつわからない。
向こうも丸見えなら、こちらも丸見え上等ということで開けっ放しで過ごすことにした。
隣の部屋からは大音量のテレビの音が流れてくる。
防犯対策なのだろうか、それとも情事の物音を隠すためなのだろうか。
つまりはここはプライバシーのかけらもない部屋だったということか。

ベッドの上でごろりとしていると、腹が減っていることに気がついた。
日本を出発してからビールと野菜しか食べていないのだ。
とりあえず外に出よう。
ぼくは欧米に行くときは、Vodafone IrelandのプリペイドSIMとロックされていないiPhoneを持ち歩いている。
もちろん現地のSIMを入手することもあるのだが、今回は年末年始ということに加え長距離の移動があるため、それを買える見込みは少ない。
iPhoneのSIMをVodafoneのSIMと差し替える。
これは1日2.99eurの費用で200MBまでのデータ通信と通話ができる。
通話はほとんど使わないが、googlemapやトリップアドバイザー、Facebookなどが使えるのはありがたい。

大晦日のマラガ

外出するためフロントに部屋の鍵を預ける。
このときに、宿主オススメの店を聞いてみた。
ぼくはローカルが日常的にいくような店いいと伝えた。
彼女が教えてくれたのは、ヒストリックエリアにある人気店。
その店は「El Pimpi」という。
この店以外にも、この周辺ならいくらでも店が見つかるとのこと。
いかにも観光地のガイドマップといった趣のの地図をもらって、早速出かけることにした。

来る時は気がつかなかったか、宿の斜向かいに中国人が経営する萬屋があった。
後で寄ってみよう。

ショッピングセンターの脇を通り抜け、大通りを横切る。
大きな交差点を右に曲がって繁華街に出た。
しばらく行けば左側にヒストリックエリアがあるはずだ。
あちらこちらに警察官が警備に当たっている。
年末年始のマラガは夜通しお祭り騒ぎになるらしい。
そのため多数の警察官が動員されているようだ。
その一人に地図を見せて行き方を確認してみる。
英語はあまり得意ではなさそうだが、親身になって説明してくれた。
近くにいた同僚の警察官たちが集まってきた。
A4くらいの地図を大の大人が4〜5人で奪い合うようにみている。
警察官同士で少しのディスカッションの後、こちらだ、と指差して方向を示してくれた。
どうやらこの方向で間違いないようだ。

デパート前の広場では、仮設の遊園地やスケートリンクが設置されていて、子供たちが楽しそうに遊んでいる。
その脇を通り抜け、大きな橋を渡る。
街の様子が変わってきた。
ここから先は、残念ながら、工事中の足場が組んであって建物全体は確認できないもの、石造りの建物が続き、ここがヨーロッパの古い町なのだということを実感させてくれた。

とある交差点で足が止まった。
美しく電飾が施されたアーケード。
厳密にはクリスマス休暇のための装飾なのだろうが、本当に美しく見入ってしまう。
多くの市民や旅行者もそぞろ歩いている。

しばらくその様子を眺めた後、目的の店へ向かって、再び歩き出した。
大通りを渡った右側向こうには大きな観覧車がある。
遊園地なのだろうか。

左側に斜めに登っていく道がある。
その通りの右と左では全く趣が違う。
右側は近代に整備された整った道並み。
左側は中世を思わせる石造りの建物群。
その間の石畳の径を左にカーブしながら登っていく。
曲がり切るとだんだん開けていく。
右側は城址のようだ。
後でわかったのだかAlcazaba城跡だった。

この広場のように開けた先に目的の「El Pimpi」はあるはずだ。
はたして、その「El Pimpi」はすぐに見つかった。
ところが、大晦日のその日はつい今しがた閉店したばかりだという。
このあとはスタッフでニューイヤーパーティをするとのこと。

気がつけば、もうやがて夜も10時になろうという時間。
仕方がない。

広場の奥からさらに奥に続く小道沿いに、何軒かのカフェがあった。
そのうちの一軒に入ってみた。

テラス席は満席だ。奥のテーブル席が空いているようだったので、座っていいかを確認した。

ぼくはしばらく外を眺めていた。
テラス席ではカップルや家族づれが楽しそうに、ときには騒がしく歓談している。

ぼく自身はまったく気にしていなかったのだが、隣のテーブルを陣取っていた老人がぼくのところへ誰も注文を取りに来ない事を気にして、ウェイターにぼくを指差して声をかけてくれた。
ウェイターは「おっと、ごめんよ」という感じで老人に挨拶して、ウェイトレスにぼくのところへ行くよう指示を出した。

ぼくは彼女に
「Cerveza, pol fabor.」
と声をかけた。
彼女は、「¿Una Caña? ¿Una Jarra? (ウナカーニャ?ウナヤーラ?)」と言った。
多分大きさを言っているのだろうと思い、指で大きい方と合図した。
ニッコリと微笑んだ彼女はしばらくして、ビールを運んでくれた。

一緒に出されたオリーブをつまみながら、ビールを飲む。
ちょうどぼくが2杯目のビールを頼むところで、先ほどの老人が勘定を払い帰ろうとした。
ところが、少々病的とも思える太り方の彼は、自分一人で立ち上がれない。
ぼくは立ち上がり、先ほどの礼を言いながら手を引いた。
残念ながら、ぼくはスペイン語がわからず、彼は英語がわからない。
しかし気持ちは伝わったようだった。

オリーブしか食べていないのだが、十分満足な気持ちになって、宿に戻ることにした。
だいたいの方向感覚がついたのでヒストリックエリアの小径をすすむ。
この街の街路樹はオレンジだ。
地中海に面したこのあたりは、バレンシアオレンジの産地だったことを今頃思い出した。

エンカルナシアン大聖堂の脇を通り過ぎる。
歴史がありそうだ。
前にも書いたが、ここスペインはカソリックとイスラムがせめぎ合っていた土地。
この大聖堂もいろいろな出来事があったのだろうと想像できる。

すっかり遅くなってしまった。
もうすぐ年が変わる。
先ほどの、宿の前の萬屋はまだ開いているだろうか。

看板のランプは点いているが、店内は暗い。
もう帰り仕度でもしているのだろうか、と気にしながら中を覗いてみた。
なんのことはない、夫婦が小さな卓上ランプと冷蔵ショーケースの灯りだけでカウンターの中に座っていた。
ぼくは挨拶して中に入っていき、ローカルのビールを少しとミネラルウォーターを買った。
奥の方にはいろいろな物を売っているようだったが、薄暗くてそれ以上奥に進む気がしなかった。
「Supermercado Qing Tian – 青田商店」
確かにスーパーな品揃えらしかった。

ヒストリックエリアの賑わいとは正反対の、この辺りのさびれ具合が不思議な感覚だった。

以前訪れたラスベガス。
仕事を終えたぼくはフライトまで1日の調整日があった。
仕事の間はホテルを利用していたものの、単なる時間調整に高額なホテルは不要。
そこでストリップ(中心部の繁華街)のホテルからダウンタウンのモーテルに宿を移した。
それまで滞在したストリップからはもちろん、ここダウンタウンの中心地フリーモントエクスペリエンスから、ほんの数ブロック外れただけで全く違う国に来たような感覚。
殺風景な、生を感じない空間。
同じような感覚を、ぼくは感じた。

ここにも明と暗とが存在しているのだろうか。

コスタデルソルへ

明けて2016年元旦。
7時を過ぎた頃に目が覚めた。
まだ外は暗かった。
昨夜は夜通し騒ぐ声が響いていたようで、何度かさけびごえと爆竹で目が覚めたのを覚えているが、しかしぐっすり眠れたようだった。
すこしたってふと今日は正月だったことを思い出したぼくは、初日の出を見に出かけることにした。

今日は一日中予定がない。
マラガの街を本格的に散策しよう。
シャワーを浴びて新しい服を着る。
持参していたiPadで地図を確認する。
昨日みた観覧車はベイエリアのランドマークのようだ。

観覧車まで行こうか、(地図上は)海まで最短の南東に向かおうか。
少し考えて、ぼくは昨日は通らなかった南東へ向かう道を進むことにした。

昨日降りたバス停を抜け、中央駅の正面を通って、まだ夜が明けない道を進む。
駅前のカフェはすでに営業を開始していて、ぼくに寄っていけと声をかかてきた。

閑散とした大通りをまっすぐ進む。
歩道に並行するように自転車道が走っているのが印象的だ。
歩道と自転車道は区分はあるものの、融通が利くようになっており、歩行者にも自転車にも考えられた構造になっていた。

やがて海岸線と平行して走る大通りにでたが、この道は失敗だったことに気がついた。
このあたりはフェリーと貨物船の発着埠頭のようで、ほどほどに高さのある塀で海がみえない。
観覧車に向かわなかったことを後悔しながら、砂浜へ向かって先を急いだ。
だんだんと明るくなってきた。
もう日が昇りそうだ。
汗ばむくらいの小走りで砂浜の方へと急いだ。

貨物埠頭が終わり、フェリー乗り場の前を過ぎる。
この先は港の入り江に沿ってプロムナードが整備されている。
夜通し騒いだであろう若いカップルとすれ違う。
遊び疲れたのだろうか着衣が乱れてきている。
タキシードとパーティドレスでバッチリ決めてきたのだろう。
それが夜通しのパーティを楽しんだのがよくわかる。

コスタ・デル・ソルのモニュメントについた頃は、太陽は、ちょうど海から離れたところだった。
砂浜についてからは、しばらく海を眺めていた。

ピカソ少年が見ていた風景を探す

どこまで歩いてきたのか、iPhoneで現在位置を確認してみる。
どうやら闘牛場の裏手まで来ているようだ。
闘牛士に憧れた少年ピカソが父親に連れられてやってきた闘牛場。
そんな基礎知識しかなかった。

ぼくは闘牛場へと向かった。
まだ日が低いせいか、小路の奥は影って薄暗い。
その薄暗い小路の街路樹はやはりオレンジだ。
そしてその向こうに、大きな闘牛場が現れた。

ここで気がついた。
先ほどからなにやら臭うと感じていたのだが、これは昨夜の騒ぎに乗じてされた小便の臭いだ。
辺り構わず放水したのだろう。
今朝すれ違ったカップルたちもその一味だったのかもしれない。

時間が早いせいか、闘牛場のすべての扉は閉じていた。
できるものなら中を見学したいところだが、今日は正月でもある。
いたしかたない。

この闘牛場を見下ろすようにそびえるヒブラルファーロの岩山。
少年ピカソが、父親が不在で入場料を払えない時はこの岩山の上から闘牛を見ていたという。
ヒブラルファーロの麓は美しく整備されている。
南国らしい植物と花壇、一直線に延びる道。

この道を進むと、昨夜やってきたヒストリックエリアの入り口に戻ってきた。
昨日気になったアーケード街を抜けてみようと角を曲がってみる。
両脇にブティックや宝飾店などが軒を連ねている。
マラガ商業の中心地なのか。
事前に調べたところ、ここにはPhone Houseという携帯電話のショップがあるはずだ。
Phone Houseは、通信会社にとらわれず各社のSIMが帰るという情報だった。
可能ならスペインのSIMを入手したいと探してみた。
地図に表示された場所はPhone Houseではなく、Vodafoneのショップ。
正月のためか、時間が早いせいかはわからないが、営業していない。
また日を改めて来てみよう。
帰国の前日はもう1日マラガに滞在するのだから。

と、そこへ物乞い風の姿をした男性が近づいてきた。
いや、物乞い風ではない、物乞いなのだ。
彼は右手の親指と中指を擦り合わせて、「金をくれ」と言っているようだった。
普段ならポケットの小銭くらい与えても良さそうなものだが、高圧な姿勢と物言いにくわえ、掴みかかってこようとする。
ぼくは思わず日本語で、「触るな!」と強い口調で言いながらその手を払った。
離れていくぼくに、唾を吐きかけるような仕草と何か早口で言っているようだったが、幸いなことにぼくはスペイン語がわからないので、それ以上腹を立てることもなかった。

早朝から歩き回ったので少々小腹がすいてきた。
大通り沿いの歩道に、パラソルを広げたカフェが目に入った。
先ほどの駅前もそうだが、ヨーロッパでは、歩道で営業しているカフェがよく見受けられる。
ちょうどいい、ここで朝食にしよう。
店の名は「PLAZA」。
感じのいいウェイターが招き入れてくれた。
ドリンクだけか?それとも何か食べるのか?と英語で聞いてくれたので、なにか食べたいことを伝えた。
ぼくの答えを聞いた彼はメニューと一緒にナプキンに包まれたナイフとフォークを持ってきた。
ぼくはメニューを一通り眺めたあと、コーヒーとオレンジジュースの付いたブレックファーストのプレートを頼むことにした。
まずオレンジジュースが運ばれてきた。
小ぶりのグラスだが、中身はしっかりと果物を絞った味がする。
あたりを眺めながら、ようやく一息つけた。
どうやら常連客が多いようだ。
ウェイターが給仕にくるたび、何やら話し、笑っている。

やがてコーヒーと一緒にプレートが届けられた。
小さな食パン2枚と目玉焼き、ベーコンのセット。
シンプルだがすごく美味しい。
そういえば日本を発ってから、野菜と果物しか食べていないことを思い出した。
昨夜も何か食べようと思っているうちに、そうだった、大盛りのオリーブで満足したのだった。
ぼくにとって、今年のお節料理はこのモーニングプレートとなった。

コーヒーを飲みながらこの先のことを考えてみた。
時間はまだ9時30分を過ぎたところだ。
iPhoneで地図を見てみると朝からすでに10km近く歩いていることがわかった。
飲まず食わずでよく歩いてきたものだ。

ぼくはすこし戻って、ヒストリックエリアの奥へと進んで行くことにした。
迷路のような街の作り。
奥に教会のベルが見える。
まずはあそこまで行ってみよう。
教会のベルを目指すのだが、道が曲がりくねっていて、気がつくと教会を見失っていた。
道が狭い上に4階建て5階建ての建物も多く、思いの外見通しがきかない。
迷うのも一興と、奥へと進んでいく。
大晦日の騒ぎのあとを清掃しているところに出くわした。

大量のゴミが道のあちらこちらに投げ捨てられている。
朝から通った道は、メインの通りだから先に処理したのだろう、道理でゴミが見当たらなかったはずだ。
放水車で水を撒き、ゴミもろとも押し流している。
きっと所構わず発射された小便を洗い流す意味もあるのだろうと勝手に解釈した。

しばらく迷い歩いたところで、マラガ旧市街地の全容がだいたい頭に入った。
こんな街は昼と夜で違う顔をみせるだろう。
夜は一体どうなるのだろうか。
楽しみでならない。

乾いた地中海性気候。
すぐに喉が乾く。
先ほどコーヒーを飲んだせいだろうか。
小路の出口に薬局があった。
カウンターの後ろには水のペットボトルが積んであるのが見えた。
早速1本購入。
スペイン語の「水(アグア)」がすぐに思いつかなくて、少し悔しかった。
いつも他国へ出かける際は、少しでもその国の言葉を使えるようしたいと思い、参考書を買うのだが、ずぼらな性格からそれが完了した試しがない。
ぼくの悪い性分だ。

街の一番奥に広場がある。
その広場の奥の建物がピカソが暮らしていた家だという。
閉館中だったので中はうかがい知れなかったが、ここにピカソが暮らしていたこと、そして今でも当時と変わらない暮らしをしている人たちがいることを実感せざるをえない。

広場の前の道を南に進む。
ほんの数ブロックで、昨日の夜ビールを飲んだバルの奥までやってきた。
以外とコンパクトな街なのだ。

そのバルを右に見ながらまっすぐ進むと自動車専用道路のトンネルとなる。
そのトンネルはカーブしており出口は見えないが、闘牛場のそばに出るはずだ。
ふと見ると車道の左側に車止めのついた道とその奥に小さなトンネルがみえる。
そうか、このトンネルを抜けるとヒブラルファーロの闘牛場側に出られるのかもしれない。
Googlemapでは確かにそのようになっている。
その道を進んでみることにした。

信号待ちをしていると、旅行者の家族連れに声をかけられた。
どうやらAlcazaba城跡へ行きたいとのことだった。
彼らの持っていた地図によるとEl Pimpiの前を通り、左に折れると目的のAlcazaba城跡となっていた。
しかしこの坂を下って再び城址を登るのは大変なのではないかと思い、ぼくのプランを説明した。
つまりこの先のトンネルを抜けて、Alcazaba城跡を裏から目指してみるのだ。
家族連れの主人と思しき男性は賛成したが、婦人たちがそれを拒んだ。
女性はえてして確実でないものは嫌なのかもしれない。

連れができたと喜んだのも束の間、また一人になった。
なにごとも相談する必要もない気楽さでは一人が断然いい。

急な坂道を上る。
この道は左奥に連なる住居群の住人と生活関連の車以外は入れないらしい。
坂を登り始めてすぐに先ほどまでの喧騒は聞こえなくなった。
登りきったところにあるトンネルを抜ける。
ほんの数十メートルのトンネル。
向こう側が見えるからだろうか、照明などはない。
別世界に続いているような、不思議な感覚。
胸が締め付けられるような、ある種の緊張を伴って、そのトンネルを抜けた。
そこから眼下に見えたのは、今朝がた歩いた美しく整備された街道。
昨夜の記憶も繋ぎ合わせれば、その先はデパートなどが立ち並ぶショッピングストリート。


左の方には闘牛場も見える。
だが、見下ろすような高さではない。
闘牛場の外壁は見えるが、中をうかがえる高さではない。
地図を確認してみる。
この先を東に進むと展望台があるようだ。
眺望マークがある。
きっとこの展望台は少年ピカソが闘牛場を見降ろしていた、あの場所に違いない。

かなり急な坂道ではあるが登ってみることにした。
コンクリート舗装の急坂。
カーブには滑り止めが刻んである場所もある。
15分、いや20分ほど急坂を歩いただろうか。
いや、ほんの5分くらいだったのかもしれない。
1月とはいえ汗ばんでくる。
幾度となくつづら折れを登りつめると、そこは眼下に闘牛場を見下ろす展望台に到着した。

そこにはすでに何組もの先客がいた。
ヨーロピアン、チャイニーズ。

ここから少年ピカソが闘牛を眺めていた様子を想像してみる。
地中海に太陽が反射して眩しい。先ほどから歩いたフェリーターミナル周辺もよく見える。
しばしの間、地中海の風を楽しんでみた。

歩くと汗ばむ正月のマラガだが、風に当たっていると肌寒くなってくる。
麓に下りよう。
今来た道を戻る。
あれだけ喘いで登ったこの道も、下りだとあっという間。
すぐにトンネルの出口まで戻ってしまった。
今度は先ほどの家族連れが登ってくるであろう方へ向かって行く。
結局彼らとはすれ違わなかったが、多くの観光客が登ってくる。
彼らもきっとあの展望台を目指すに違いない。

右手に古城跡を見つつ歩くと、あっという間にEl Pimpiのある広場の端にでた。
結構歩いたつもりだが、実はそれほどでもないのかもしれない。

マラガの景色

広場からは気の向くままに細い小路をあてもなく歩き回ってみる。
昨夜もやってきた大聖堂の下に来た。
見上げるようなエンカルナシアン大聖堂。
残念ながら、その全貌はiPhoneのカメラの画角には収まりきらない。
エンカルナシアン大聖堂の前の広場を抜け、いくらかの土産物店やカフェを通り過ぎる。
この街はカフェが多い。
小用を足したくなったのでカフェに入ることにした。
カフェというよりはバルといったほうが正しい表現だろう。
朝から十分に汗をかいたのでコーヒーはいらない。
ビールをもらうことにする。
カウンター席に座り、得意の「Cerveza, Pol fabor.」とオーダー。
ここでは「¿Una Caña?」とだけきかれたので、「Si」とだけ答えた。
ビールを受け取ってからトイレを使わせてほしい旨を告げ、用を足す。
公衆便所がないのでこんな時不便ではあるのと、大晦日の立ち小便はしようがないのか、と思ったりもする。
これだけたくさんのカフェが成り立つのはトイレ事情も無関係とはいえないのかもしれないと思った。

カフェを出て、まだ通ったことのない路を歩く。
件のアーケード飾りをした商店街に出てきた。
通りの向こうには広場が見える。
今朝ほど朝食を食べたPLAZAからも同じ広場を眺めていた。

そのPLAZAから大通りを挟んだ向かい側の広場の傍に馬車が見える。
観光客向けのガイドサービスなのだろうか。
信号を渡って馬の側に行ってみる。
やはりガイドサービスのようだ。
何人かの馭者が談笑している。
商売熱心ではないようだ。

広場の奥にはツーリストインフォメーションがあるが、今日は休業のようだった。

傍らのベンチで一休みし、今度は大通りを挟んでヒストリックエリアとは反対の街並みを行くことにする。
この辺りには高級ホテルがいくつか見受けられ、ヒストリックエリアへの送客の役割を果たしているようだ。

正月のせいか、休店が多い街並みをそぞろ歩いた。

テナント募集の看板を眺めたり、家族づれの会話をきいたりしながら歩き進むと、中央駅の前にでた。
なんとなく今朝声をかけられたカフェに入ってみた。
何か食べるのか?といったことを聞かれたので、ランチにすることにした。
ビールをもらい、メニューを見る。
英語のメニューを頼んでみたがあいにく無いという。
しようがなく当てずっぽうで頼んでみた。
旅の途中ではよくあること。
と半ば楽しみに待つ。


出てきたのは野菜だけのグリル。
「ああ、また野菜か」と思いながら、飛行機の機内食以来ほぼ野菜の食事を思い返すと、にやけてしまった。

中央駅まで戻ってきたので、宿で一休みすることにした。
呼び鈴を押すと中から扉のロックを開けてくれる。
カウンターにいたのは無口な主人だった。
ルームナンバーを言って鍵を受け取る。
薄暗い階段を登り、やはり感度の悪い人感センサー式のライトのついた廊下を抜け部屋に入る。
この人感センサーは、通り過ぎた頃にようやく反応するようで、部屋の前に着く頃ようやく点灯する。

ベッドに横になって、明日のことを考えてみた。
明日はジブラルタルへ向かう。
午前中に何本かジブラルタルと国境を挟んだ街「La Rinea de la Cosepicion」へ向かうバスが出ているという。
このあとバスターミナルで確認してみよう。

夕方、駅ビル周辺を歩いてみた。
ちょっとした商店街のようになっている。
駅ビルにはアメリカ系大手のファストフードチェーンやスポーツブランド店が入居しているようだ。
おっと、バスのチケットを買おうと外に出てきたのだった。

はたしてバスターミナルでは翌日のチケットは買えなかった。
出発30分前から販売開始と決まっているようだ。
La Linea de la Concepcionへは朝7:00が発車時間のようだった。
ぼくは青田商店でビールを買い、部屋に戻った。
青田商店で買ったSun Miguelを飲みながら、翌日に夢を馳せた。

 

タイトルとURLをコピーしました